メタリアルの人事方針
Metareal’s personnel policy
メタリアルの人事方針
ガチで機会の平等=
お題目じゃない
当社は、集合式の会議を全面禁止しているので(ムダだし眠たいし密室決定になるから)、直接対面で代表が社員に話をすることはなく、
ほとんど全社共通のチャットのみで仕事が行われます。
なのに、新入社員全員に対して、必ず、直接この話をします。
なぜならば、世の会社のこういう理念的な話は、どこもがHPや会社案内に書いてあるけれども、
大抵の場合はお題目であって実際の現場と違う、建前と本音は別というのが当然のお約束になっている。
けれども、うちのは建前でもお題目でもない、
正真正銘に現場の隅々まで徹底せねばならない本当のルールなんだということを伝えるためです。
国籍が何であろうと、
性別が何であろうと、
年齢がいくつであろうと、
学歴がどこであろうと、
職歴がどうであろうと、
一切の違いなく、全てまったく機会は平等でなくてはならない。
日本人だろうが、中国人だろうが、タイ人だろうが、欧米人であろうが、一切の区別がない。
女性だけの仕事は、うちには一切存在しません。女性のお茶出しも一切ありません。代表も自分で食器を洗います。
日本によくある「若いうちは修行だから、まずは雑事からやれ、試合には出さない」という風習も大嫌いです。
学歴は、そもそも見ていません。中卒だろうが高卒だろうが短大だろうが東大博士だろうが、皆同じ扱いです。
職歴よりも素質を重視します。過去がどうであろうが、関係ありません。現在と将来だけを見ます。
ただし、一つ注意すべきは、平等という言葉は正反対の2つの意味を持つことです。
「機会平等」と「結果平等」です。
かけっこで例えると、スタートラインは全員同じというのが「機会平等」です。
対して、ゴールはみな一緒にというのが「結果平等」です。
「1等、2等、3等をつけるのは差別だ。全員で手をつないで同時にゴールしよう」というやつです。
当社の平等は前者です。機会の平等です。
後者は明確に否定します。
「等しき者は等しく扱い、等しからぬ者は等しからず扱う」という考え方です。
マジで適材適所=
人事考課の否定
①現場での人事評価を真に受けてはいけない
世間でこのようなことを言う会社は滅多にありませんが、メタリアルでは現場での評価=その人の価値とは考えません。
なぜならば、人は自分自身の偏狭な基準で他人を評価する習性を持ち、それは大抵の場合、間違っているからです。
野球が上手かという観点で見ると、アインシュタインはダメなやつです。
音楽の観点から見ると、イチローはダメです。
物理学の観点から見ると、ベートーベンはダメです。
その道の偉大な人々でさえ、別の観点で評価するとダメダメなのです。
だから、一つの観点から受ける評価を、その人の価値だとすると、大変な間違いになります。
一つ例を挙げると、悟空の妻チチは、いつも悟空のことをダメな夫としてなじります。
「服を汚すな」「子供を放って修行に行くな」「ご飯の時には家に戻ってこい」などなどです。
チチの観点からみれば、地球を救う悟空の強さや献身はどうでもよくて、家事や子育ての点でダメなのです。
仕事の現場でも、まったく同じことが日常茶飯事で起こります。
営業畑の人には、技術に優れた人の対人能力の無さが許せません。
技術畑の人には、営業に優れた人の論理思考の無さが許せません。
事務畑の人には、企画に優れた人の仕事の雑さが許せません。
そんな偏った観点からなされた現場評価を基準に、人の価値を評価してはならないのです。
②主観的な人事考課の否定
このような考え方は、主観的な人事考課の否定へとつながっています。
我々が世間一般にみられる人事考課制度を導入しない理由はここです。
評価は、「あらかじめ定められた、客観的に測定できる評価基準ルール」によって行うことにしています。
この方法によって、評価者の主観によるブレは消え、評価される方も明確にその基準を理解できます。
さらに、その基準でダメであっても、その人自体を全否定するのではなく、能力を活かせる別の仕事はないかという観点で異動を検討すべきなのです。
高度人材はコストではない
通常の会社では、年度予算があって要員計画があって採用枠があって、その採用枠に従って採用します。
当社では、逆です。
良い人材はいくらでも採るし、そうでない人材は一切採りません。
それだけです。
その結果として、人件費総額が決まります。
採用枠を決めて当てはめるという方法の前提には、人材はコストであるという考え方があります。
売上は先に決まっていて、後はいくら費用を使えるかという発想なのです。
採用枠がないからと言って優秀な人材を門前払いしたり、
逆に採用枠が余っているからといって枠を埋めるための採用をしたりします。
対して、当社は高度人材は投資であると考えています。
高度人材が売上と利益を生み出すのです。
良い人材はいくらいても多すぎることはないのです。
成長力の源泉そのものだからです。